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月の恒の如く

見たことない何かが見たい日々

ダンス|評価はシーンの価値でもある

一般から見てたかがダンスであれど価値は存在してます笑

 

最大のビジョンに平和。

大枠に文化を楽しむ。

中枠にシーンの進歩、確立、歴史・・・それに伴う人口(増)があって。

小枠に音楽性、身体性、独創性、自由性、基礎、印象、難度、(もっとあると思いますが・・・)

個人に生きがい。

 

ちなみに全ての人にと思うとニュージャンルの発祥は必須。さらなる人口増に伴ってに居場所を提供、拡大できるストリートのシステムは面白い。若い子らを中心にするエネルギッシュな文化であって音楽と一緒に拡大してくれていると考えられるから個人的にお墨付き趣味だと思う。

 

で、話は戻って、気になる項目がある。

 

1つは最近はノリがノリじゃない、と思うこともある。一般的に現代人もノリがいいとか言いますがダンスもそれと同じことが基準になってたりします。大枠、文化を楽しむ。と書いてみたんですが、そこの部分です。

ノリ=自分が楽しみ、人を楽しませ、みんなで楽しむと考えているのですが、これがないんですよ。またはノリがかっこ良すぎたり、ウザめ笑=ノレナイヨ。

日本はスタジオでダンスを形から習うのでーーー自分を差し置いてノリがいい笑 で、評価の中で常に踊っているので自分にとって自然発生的に面白いものは全然生まれないんでしょうね。本物のノリ、評価に含まれないけど、すげー大事な要素だと思う。

 

また、ノリの対比的な難易度

これが2つ目。

難しそうなことは憧れを生み、身体の自由性、チャレンジによる人の進歩、独創的な感性を表現などに適していますが難しさばかりは基準が難しい。

理由に難しいとは、どんな定義か?

審査において人間的、生物的に難しいことがハイスキルなのか?では、よりマッスルに、よりふにゃふにゃであればそれは難易度高いのか。筋肉や関節が基準になってるのか。1カ所より2カ所動くグルーブのほうが難易度高いのか。遅いより速いほうが難易度高いのか。よくわからないよりよくわかるほうが難易度高いのか。ぐしゃぐしゃより精密なほうが難易度高いのか。みんなができないから難易度高いのか。

全部、人それぞれですよね。だからAという何かがBという何かより、いいか、悪いか。それだけです笑 

この問題は、もうひとつ、全てのイベントに言えることだと思いますが選択肢が多すぎると正しい判断ができなくなるという側面も含むべき、心理的に。

例えばコンテストとかにいるジャッジ、レジェンドと呼ばれるジャッジ、オーガナイザーに認められたジャッジであれどやはり人。

選択麻痺とでもいうんでしたっけ?私は絶対、疲れる、飽きる、見逃す、あります。

 

これは当たり前のうまさ(たくさんのチームにベースが似ていること)が必要な理由でもあって、それはまたにしましょう。

 

とにかく、たくさんのチーム数や全然違うコンセプトを持つチームとかを評価しているとどれがいいか分からず結局、過去に委ね自分が元にしているうまいという定義にはめ込んでしまいます。

つまり、事を返すと自分が不器用だったこと、いまチャレンジしていることが、その人の最難度になってしまいがちだったりもします(影響の意味で)。つまり、判断しにくすぎるということです笑 

 

何が言いたいかって審査員は見れるところが限られているということ。そんなものに左右されてはいけないということでだんすしたほうがいいんじゃないかと。

 

個人的にはひっくるめると細部にわたり本物かどうか。かな?

認証欲求でダンスやってる人はがんばれ。

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